手描きの九谷焼窯元 瑛生の器 大正3年創業 山代温泉の工房で製造販売 九谷焼窯元 九谷美陶園
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手描きの九谷焼窯元 瑛生の器 大正3年創業 山代温泉の工房で製造販売
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九谷美陶園について
九谷美陶園の製造工程
作り手の想い
毎日の食卓に、使い易い温もりのある器を何時までも愛用頂けるようにと手造りしております。 これらの器を、和食、洋食、中華など、多用に愉しんでお使い頂けましたら、幸せに存じます。 庭に囲まれたショールームには約300種類の器をセッティングし、卸、小売をしています。 高級な記念品、引き出物、法要のご進物としても喜ばれております。 皇太子殿下がお求め下さった金襴手等を始めこの地方の古九谷や吉田屋手、中国の明時代の 古染付や古赤絵、更に魯山人の写しなどの基本を大切にした器も色々と造っております。

九谷美陶園 四代目 寺前瑛生
e-mail:kutani@bitouen.jp
今上天皇陛下が自らお買い求めになった九谷美陶園の夫婦湯呑
天皇陛下来山
今上天皇陛下がご成婚される前の(1992年10月)石川県加賀市の国民文化祭をご覧になるためにの山代温泉お白銀屋にお寄りの際、金襴手瓔珞文蓋付夫婦湯呑をお買い上げいただきました。ご婚約が発表されてからは当時婚約者でいらした小和田雅子様のお土産であったのではと推測が広まりました。(陶業時報1993年2月15日)
天皇家の食卓と日用品(宝島社2016年1月4日)
食卓の品で34点、日用品で20点の合計54アイテム中の1つとして紹介されました。
内容は九谷焼の歴史、令和天皇陛下がお買い求めになったことが書かれております。
タイトル:九谷美陶園 九谷焼 金襴手瓔珞文湯呑
サブタイトル:渋みのある色使い 伝統深き日本の美
魯山人と九谷美陶園
北大路魯山人と九谷焼(陶芸)の時代
北大路魯山人は1915年(大正4年)金沢の細野燕台(骨董屋、茶人、書家)に才能を認められた魯山人は、細野家で開かれた茶会で吉野治郎(吉野屋旅館、現在は魯山人寓居跡いろは草庵)、須田菁華(初代)、大田多吉(料亭山の尾)に紹介され看板を彫ることが決まったといわれています。現在でも山代温泉の旅館には魯山人の彫った看板がいくつか実在しており実際見ることができます。
須田菁華の工房で初めて陶芸を習った魯山人は才能を開花させ、その後多くの作品を残しました。
九谷美陶園の成り立ちと北大路魯山人の関係
丁度同じころ1914年(大正3年)寺前為吉が寺前商店(後の九谷美陶園)を始めた年でした。寺前家は山代温泉の専光寺の前で味噌や醤油を売ってましたが、為吉の父、寺前善吉が北出宇与門と兄弟でそれぞれ寺前家、北出家に加賀市栄谷の谷口家から養子に入りました。北出家は塔次郎、不二夫を輩出し陶芸家の道を進みました。寺前家は為吉の長男為一に陶芸の道、長女の美代に寺井の山岸家(山岸政明、雄三、大成を輩出)から英一を養子に迎え九谷美陶園を継がせました。英一と美代は渋谷道玄坂の百軒店に支店を出したが関東大震災で店を焼失し山代で九谷焼の生地を作るメーカーとして再出発をしました。
寺前為吉
寺前為吉
北大路魯山人の最後の弟子 平野雅章とのコラボ商品について
英一の長男英夫は東京でサラリーマンをしていましたが、英一が高齢になったため58歳で美陶園を継ぎました。魯山人最後の弟子で知られる平野雅章とコラボし九谷美陶園は魯山人写しシリーズを開発しヒット商品になりました。平野雅章氏は料理の鉄人の審査員として活躍された、料理の鉄人でご活躍された道場六三郎さんも山中温泉出身で九谷美陶園の器を使っていただいておりました。
九谷美陶園小史
1914年(大正3年)
寺前家は、明治時代から加賀市山代の專光寺の前で味噌、醤油製造・販売の商家であった。初代為吉は伯父北出宇与門の窯(この家から陶芸家・北出塔次郎、不二夫を輩出)から白生地の供給を受け九谷焼の絵付と販売の仕事を始める。
1934年(昭和9年)
寺前家の長男為一と弟英一は株式会社九谷美陶園を創立し窯元となる。まもなく東京美術大学卒の為一は作家として独立
1945年(昭和20年)
英一が九谷美陶園を引き継ぐ。お客様からの依頼で中国の古染付や日本の古い時代の写し物や、大聖寺伊万里なども盛んに作った。丁寧で誠実な仕事が認められ、出光美術館のオーナー出光佐三氏に、吉田屋写しを会社の記念品に依頼されるなど、良い仕事が増えた。
1955年〜1965年(昭和30年〜40年)
手挽きの生地の需要も多く、専ら作家に求められた。通産大臣より「伝統工芸品産業功労者」と表彰される。 英一は87歳まで元気で身障者の雇用 のため住居付の工房を建て増したりし、昭和48年勲六等昭和54年加賀市文化功労賞受賞。
1987年(昭和62年)
長男の英夫(東京で重工業に勤務していた)が継ぎ、加賀九谷陶磁器組合の理事長も務める。英夫(瑛生)はショールームの建て直しや 窯の移転などと近代経営を導入し、妻みつ子は伝統の上に日常生活を楽しめる事大切にした器のデザインをしました。
1989年(平成1年)
*皇太子殿下が山代温泉に来駕の折、白銀屋旅館に展示された九谷焼逸品の中から当社の「金襴 手夫婦湯呑」を自らお求め下さる。
*旧加賀藩主前田家からお子様たちのご結婚のお引き物を3回。お母さまの記念のお引き出物等のご注文(ボンボニエール)を頂く。
*ワイツゼッカー元西独首相は当ショウルームでごゆっくりご覧下さり、ご夫妻で色々お求め下さった。
*文部大臣が加賀市ご訪問時、当ショールームにお寄りになりヨーロッパの国々へのお土産を選ばれ、古九谷や吉田屋写しなど沢山お納めする。
2013年(平成25年)
英夫の死去により 妻みつ子が後を継ぎ、2015年から息子の伸哉も東京の会社を早期退職して会社を新しい方向にサポートしている。
2019年1月から伸哉が代表取締役に就任し四代目寺前瑛生を襲名する。
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九谷焼窯元 九谷美陶園 〒922-0242 石川県加賀市山代温泉16-17 TEL0761-76-0227 MAP TOP
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