1988年の事です。これは私の母に聞いた話を書きとめました。
九谷美陶園は祖父の時代は工房で轆轤職人が沢山おり九谷焼の型打ち技法や生地を作る事を生業にしていました。
昭和の終わりにバブルも崩壊した頃、店舗を改築してお客様が沢山来る店を作りました。またデザインを一新し古い九谷焼のイメージから主婦目線で普段使いが出来るデザインにしました。
父は東京で会社員をしてましたが58歳で退社し、祖父がやっていた九谷美陶園を継ぎました。
そんなある日オノ・ヨーコさんの事務所から電話がありオノ・ヨーコさんが山代温泉に来るので3日間アテンド欲しい旨連絡をもらいました。
訪問者はオノ・ヨーコさんとヨーコさんの弟さん、ヨーコさんのポーランド人のボーイフレンドの3人でした。
1日目
小松空港にオノヨーコさんご一行を迎えに行き、那谷寺を案内しました。
オノヨーコさんは那谷寺を気に入りその場で音楽を作ったそうです。
その後、九谷美陶園で陶芸家の河島洋さんに手伝っていただき大皿に絵付けや字を書かれました。夜は山中温泉のかよう亭に泊まりました。
2日目
白山一宮に牛首紬や中島和紙を見に行き、夜は金沢山乃尾の離れで夕食を取りました。そこからは茶屋街が綺麗で版画のようだったと母が話してました。その後何度か行きましたがそのように見えたことは無かったそうです。
3日目
富山にヨーコさんの御先祖様のお墓参りに行きました。
オノヨーコさんの曽祖父は安田善次郎という方で安田財閥を創設した方で富山の方でした。そこで母の知り合いの材木店の野原さんにお願いしてお墓を探してもらったそうです。お墓参りをしたオノヨーコさんはとても喜んでいたそうです。
美陶園では和と書いた大皿と色絵のお皿をプレゼントして頂きました。和の大皿は美陶園に残っており大切な記念品として展示しております。(非売品)
色絵のお皿は後にオノ・ヨーコさんの事務所から連絡があり貸して欲しいとの事でお貸ししたのですが残念ながら未だに返却されません。オノ・ヨーコさんの関係者の方ご覧になっていたら返却して頂けますと幸いですと高齢の母が申しております。オノ・ヨーコさんは母より1つ年上で昭和8年生まれだそうです。
2021年4月